土門巨幸さん 菓匠土門 店主
更新日:2022年3月15日
常にいいものを作ろうという試みが伝統を生んでいる。
いちご餅(期間限定の人気商品)
「職人」という言葉を耳にしたとき、どのようなことを思い浮かべるだろうか。頑固、その道一筋、達人、修行…。イメージは人それぞれだが、果たして実際の職人はどうであろうか。
神奈川県の県央、愛川町。人口約4万人の決して大きいとは言えないその町に、創業から50年を超える老舗和菓子屋「菓匠 土門」がある。店主は土門巨幸さん。高校卒業後、東京にある和菓子の専門学校を経て千葉で4年間の修行を経験。和菓子一級技能士の資格を持つ和菓子職人である。土門さんの仕事はそれだけではない。YouTuberとして愛川町のPRに取り組むほか、2018年には地域の商店会会長に最年少で就任。お客さんに喜んでもらうことを一番に考えている、と話す土門さん。そのように考えるようになった原点とは。老舗和菓子屋の店主として、伝統とは何か。さらに愛川町でお店を続ける理由、働く上で地元の人々とのつながりとは。土門さんの地元愛あふれる取り組みに迫る。
記事執筆者:黄 望舒、黃 君懿、村上 由芽
インタビュー日:2022年1月
和菓子職人
ーどうして和菓子職人になったのですか。
父がこの和菓子屋を創業し、私がその後を継ぎました。現在85歳の父は若い頃、和菓子が高級だったため頻繁に食べられなかったそうなんです。なので父は、自分が和菓子の世界に入ったら甘いものを食べられる、という考えで和菓子屋さんになったらしいです。
自分の幼いころは、親の跡を継ぐというのは当然でした。でも男性である父が、どうして綺麗なものを作れるんだろうな、と不思議に思ってましたね。どちらかというと女性の方が、綺麗なものや可愛いものを作れそうなのに。今は親の仕事を継ぐということが珍しくなってきていて、代々続くお菓子屋さんがどんどん減ってしまっています。
ー和菓子職人になるまでの過程を教えてください。
千葉にある和菓子屋さんで4年間修行をしました。将来ライバルになる人たちと一緒にいたので、知識も技術も必死になって学びましたね。もっと和菓子の道を究めたいのなら、基本を当たり前にできるように時間をかけて叩き込まないといけない。スポーツも同じだと思うんです。例えば野球選手はプロでもキャッチボールをするし、プロサッカー選手もリフティングをしますよね。基本があってこそオリジナルができると思うんです。なので修行のように基本を叩き込む時間は、絶対に耐えなければいけない期間だと思っています。
ーお客さんとのつながりについてどう思いますか?
お客さんの約7割は女性です。男性の方も来てくださるんですけど、男性はご自身用ではなく人にあげるために和菓子を買うことが多いようで。なので女性の視点を意識したパッケージやテイスト、商品づくりに努めています。
またお客さんの7割くらいは地元の方です。既に父が「御炭山最中」や「獅子舞」など、地元にゆかりのあるものをモチーフにした商品をつくっていたのですが、町にある他のお菓子屋さんもそうした商品を作っているんです。
なのでお客様にアピールするために、自分は素材にこだわるようにしています。例えば私のお気に入りのどら焼きは、生みたての地元の卵を使った方がふっくらしやすいんです。あとは個々の産地の気候などを調べます。自分のこだわりとして、100点満点の素材を使う、ということがありますね。そうすると、素材の良さをどれだけ引き出せるかが、全て自分の腕次第になるんです。材料が悪い、例えば70点のものを使ってしまうと、お菓子自体の完成が最高でも70点となってしまうので。
御炭山最中
ー創業から50年以上経ち、伝統ある和菓子屋さんとなった菓匠土門。土門さんにとって伝統とは。
もちろん、父の代からのお客さんも大事です。でも「伝統は同じことを繰り返すことじゃない」と思うんですよね。例えば昔は当たり前だった柏餅ですが、今の若者は何のお祝いで食べるものかわからない。5月5日の子どもの日にはそのお菓子を食べるんだよって説明しても、買ってくれないんですね。なので自分がやっているのは、例えば和菓子屋ですけどバレンタイン商品を作るとか(笑)。「常にいいものを作ろうという試みが伝統を生んでいる」と考えています。
全て変化させる必要はないし、全て変えることもできません。例えば和菓子に馴染みがない今の若者が、歳をとって急に和菓子が食べたくなるということはないと思うんですよ。なので、今から少しでも若い子たちが和菓子を食べたいと思ってくれて、それが何十年と続いたときにお客さんとして来てくれるように試行錯誤しています。どんどん新しい風を吹き込んでいかないと、お店を存続することも伝統を継ぐこともできないんです。
菓匠土門 店主
―土門さんは店主になった際、菓匠土門をどのようなお店にしたいとお考えだったのでしょうか。
最初はお金を稼ぐために、何店舗もお店を作ろうと思ったんですよ。でも結局、自分の目の届く範囲でしか仕事をできないということに気がついたんです。管理が難しいというか。お店をいっぱい持つということ、つまり大量生産するということは、機械で作らなければいけない。もちろん機械で和菓子を作るお店もありますし、確かにその方が生産性が良いかもしれません。でも機械で作ることに魅力を感じるのか、疑問に思ったんです。自分の見せるところは、やはり手先の技術だと。なので大量生産より技術的な面を高めるほうがいいかな、という考えにシフトチェンジしたんです。あと作り手と売り手が同じなのでお客さんに思いを伝えられますし、お客さんに喜んでもらえるのを直に感じられるんです。
菓匠土門 外観
―店主としての最も大きな決断とは。
父を引退させてお店を小さくしたことですね。父を82歳まで働かせてたんです。一般的にはそんな歳まで働かないんですけどね。何で働かせていたかっていうと、父の力が無いと仕事が間に合わなかったんです。だけど、常に父に頼っていたら自分が一人前になれないと思ったんです。そこでまず、自分の目の届く範囲だけでの仕事に変えようということで、隣の厚木市にあった店をなくしたんです。今後自分が商売を続けていくための先を見据えた決断。自分の中では大きかったと思いますね。
YouTuber
―どうしてYouTuberになりましたか。
愛川町には「愛川ブランド」(愛川町産品の中から特に優れたものを認定する制度)があり、町役場の人々はそれを広く知ってもらいたいと思っていたんです。じゃあYouTubeで発信したら興味を持ってもらえるかな、ということで、「愛川ブランド劇場」という町公式のYouTubeチャンネルができました。そんな中、そのチャンネル内の私が出演したある動画が、他のより少し再生回数が多くて。お笑いコンビ「EXIT」のりんたろー。のそっくりさんとして、注目されていたということもあるかもしれませんね(笑)。「じゃあ土門さん、愛川ブランドの紹介をお願いします」となったんです。編集などは全て町役場の方が担ってくれていますが、誰かに頼るのではなく自分たちで「愛川ブランド」を広めないといけない、と思っています。動画を通して愛川町の色々なことを知ってもらう。そして「愛川ブランド」を買いに来たついでに他の商品も買おう、という流れをつくりたいと考えています。
YouTuberとして、観てて楽しいって思ってもらえるよう、堅い説明をしないことを心がけています。つまり、お客さん側の立場から「愛川ブランド」の魅力を伝えるんです。私にとってお客さんは「食べるプロ」で、職人は「作るプロ」。作るプロが出す評価がお客さんの評価と同じという訳では必ずしもないんです。なのでYouTuberをしているときは自分を食べるプロだと思って、感じたことを正直に伝えるようにしています。
―和菓子職人である土門さんがYouTubeをすることで、どんな変化を期待していますか。
和菓子屋さんって、どうしても堅いイメージがあるんですよ。入りづらいとか、敷居が高そうとかって。なのでYouTubeでそれを崩したいと思っています。だからといってコンビニみたいに誰もが入れる店というのは、少し違うと思っていて。例えば人に物をあげるときに、「コンビニで買ってきたよ」と言うのと、「土門さんで買ってきたよ」と言うのとでは印象が違うじゃないですか。その店にわざわざ行って買ってきてくれた、という気持ちが受け取る側の喜びにつながると思うん堅苦しい店と思われるよりも、和菓子屋をもっと身近に感じてもらいたいですね。
商店会 会長
―2018年、愛川町の「あいちゃん商店会」の会長になられましたね。お仕事や生活に変化はありましたか。
今までの商店会は、若い人の意見がなかなか伝わらなかったんです。でも自分が会長になったことで、世代が変わったということをアピールできたと思います。若い人の意見こそ、今の時代につながってくるんですよ。やっと自分の考えが通る時が来た、という感じでした。今までは会長という立場じゃなかったから、上の人に文句を言えたんですけど、会長となっていろいろな人の意見に耳を傾けた上で判断できるようになってきました。じゃあ自分ができることは何なのかなと考えたとき、まずは会員を増やすこと。そしていろんなお店の人とのつながりを持つことが大事だと思って活動しています。
―「地元愛」の源とは。
愛川町って電車もなくて、すごく不便なところだと思うんです。でも、いろいろなものがなさすぎる居心地のよさってあるじゃないですか。加えて、お店が少ない愛川町だからこそ、行動を起こしたときに注目されやすいんです。あと恐らく都会では、マニュアル通りのロボットみたいな接客だと思うんですよ。愛川町はどちらかというと、もっとフレンドリーな感じ。そういった意味では、それぞれの地方にはそれぞれの良さがあると思うんですよ。特に修行で千葉に住んでいたとき、地元の良さを改めて感じましたね。地元のあの店に行きたいとか、あの人に会いたいとか。この経験から、愛川町に行かないとあのおいしいお菓子が買えない、と思ってもらいたいなと。これから先も、この町から移転することはないと思います。ここの場所に居ながらお店を大きくすることはあるかもしれないです。でも最も大事なのは、「お客さんにより喜んでもらえるようなお店づくり」ということ。そこを突き詰めていきたいと思ってます。
筆者のプロフィール
黄望舒 | 土門さんの記事を何回も読んで、「土門さんが20代の時、今の仕事や生活を想像できたのかな」と、よく考えています。「和菓子職人は、小さい頃からのお考えなので、たぶん想像できた。YouTuberと商店会会長は、予想外だろう」と思います。しかし、愛川町を宣伝するYouTuberにも、商店会会長にもなれたのは、和菓子職人と関係があるかもしれません。和菓子職人になって、地元の人に知ってもらって、地元のことに注目するようになったからこそ、YouTuberと商店会会長になれた可能性があります。和菓子職人は、和菓子作りだけではなく、それを通して、様々な機会も創造できたようです。つまり、機会は意外なところに常にあります。では、現在の私は、10年、20年後の仕事や生活を想像できるかなと考えると、たぶんできません。現在の考えは、現在の認知能力によって決められているので、一時の考えにとらわれず、オープンマインドになった方がいいのではないでしょうか。 |
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黃君懿 (モビ) | 私が土門さんのインタビューで学んだことは、革新的であることの大切さです。 土門さんは、伝統的なビジネスを促進するために、より現代的な方法のYouTubeを使っています。このことから、革新的であることは、伝統をあきらめることではない、と感じました。 また、人生は予測不可能であるということも学びました。 例えば、土門さんは和菓子職人と店長になることを期待されていました。しかし今では、YouTuberとあいちゃん商店会の会長にもなっています。それは素晴らしいことだと思います。理由は人生の早い段階で決定的な選択をする必要はなく、他の可能性も人生の数年後に依然として探求できることを示しているからです。 |
村上由芽 | 「和菓子職人になりたい」というより、「親の跡を継ぐのは当たり前」と考えていた土門さん。繊細な和菓子作りに不可欠な手先の器用さは、何年もかけて鍛え上げた努力の賜物。今ではお客さんに喜んでもらいたいという一心で、工夫を凝らす日々。一方、土門さんのように子どもが親の仕事を継ぐということは珍しくなりつつあり、職業の選択が以前より自由になったと感じます。多くの選択肢を前に「どんな仕事をしたいのか分からない」と悩んだ時、「どのようにその仕事を楽しめるか」考えてみる。決して「あの仕事に就きたい」という気持ちから始まる必要はない。就いてみて、自分にしかできないことや、どのように楽しめるかということを考えてみるのが大切かもしれません。そこに、土門さんがお店を継いで地元で働き続ける理由があるとわかりました。 |
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