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岩下八司さん・啓子さん NPO法人P.U.Sバングラデシュの村を良くする会

「自分が幸せになること」が人を幸せにするということ

 

「政治や社会を変えるという大きなことはできないと思います。それでも、できる範囲でちょっとでも幸せな人を増やしたいから、地元の教育に力を入れて取り組んでいる。それがいつか大きなことに繋がるかもしれない。だから、小さなことにも大きな愛を持って活動しています。」


岩下八司さんは、NPO法人P.U.S、バングラデシュの村をよくする会の会長を奥様の啓子さんと共に務めていらっしゃいます。P.U.Sでは、児童の教育支援の一環として、教育里親制度や、学校建設事業をされています。また、兵庫県丹波篠山市で、バングラデシュやネパールの雑貨やカレーなどを販売する「だいじょうぶ屋」というお店を経営されています。訪れた人たちは岩下さんたちとの交流をきっかけに国や教育支援に興味を持つことも多いそうです。岩下さんたちは、なぜバングラデシュで教育支援を始めたのか。支援に携わる上で、また生活をする上で大切にしている信念とは。岩下さんにとって働く目的はどういうものなのか。2022年1月にオンラインにてインタビューを行いました。


*里親制度 = 日本で教育里親を募り現地の里子が教育が受けられる制度「教育里親制度」を実施。


記事執筆者:​イジー・リグダ、杉山穂乃佳、李林熙(リンシー)

インタビュー日:2022年1月

 

バングラデシュでの教育支援について


ーバングラデシュの魅力とは何ですか。


八司:バングラデシュは本当に小さい国で、1億7000万くらいの人が住んでいるから、物凄く人口密度が高いです。確かに生存競争が厳しい所があるけど、国民のみんなが生き生きと生活しています。子供も大人も目が輝いて必死で生きていて、明日のことを考えずに今日一日をどう生きていくかというエネルギッシュさがあって、そう言うところに僕はすごく魅力を感じました。



ー岩下さんが教育に関心を持ったきっかけは何ですか。


八司:私が当時働いていた会社にいた、バングラデシュからの研修生が自分の国の貧しい状況を説明してくれました。僕は、行ってみたいと興味を持ち、1985年頃初めてバングラデシュを訪れました。当時は大人でも、特に女性は、自分の名前も書くことができませんでした。名前すら書けないと、(つまり教育が十分にされておらず、給料が低かったりすると、) 娘が売られたり、自分たちの畑や家を取られるということが起きていました。他にも、出稼ぎに行く女性が、自分の旦那さんからの手紙も読めないし、自分たちの状況を伝えることができませんでした。


また、(女性に関しては)多くの親がイスラム教を信仰しているので、女性の行動範囲が限られています。親がイスラムの学校に行かせていたことも多くありました。村には女子中学校がなかったので、女子中学校を建てたかったのです。


僕や啓子は、大学や高校で(教育について)勉強したことはありません。72年間ずっと、体験学習でしか生きてきませんでした。しかし、目の前で子供たちが読み書きができていないのを見て辛くなりました。読み書きは、基本的なことで、自分の名前も書けないというのは、同じ人として不公平だと思います。だから、教育、特に女性の教育は本当にここで必要だと肌で感じました。



ー日本との文化の違いは支援活動にどんな影響がありますか。


八司:やっぱり一番大きいのは、宗教的なことが壁になるということです。僕もわりと融通がきくというかね、郷に入れば郷に従えという言葉があるので、イスラム教のことを理解しようと努力しています。学生と同じ目線で見ようとしたら、同じ生活をしなければなりません。



ー活動で一番難しかったことは何ですか。


啓子:そうですね。なかなか向こうの人に理解してもらうのも時間がかかりました。時間かけてぼつぼつ(少しずつ)学校を建てることには着手できました。

八司:今振り返ると、活動を始める時に、何も考えずにすごく肩に力が入って、押しつけになってしまったのだな。そういう思いで活動しているときは空回りみたいだったような気がします。



ー子供たちの教育機会が増えることで、子供たちやその家族にどのような影響がありますか。


啓子: 女の子が学校へ行ける機会が増えました。


八司:30年前に僕らが関わりはじめたときは、親にとって子供は労働力としてしか見られていませんでした。しかし、(学校を建設したことで)少しずつ子供が学校へ行けるようになってきました。それから、子供が親に読み書きを教えるようになりました。


今までは、女の子の場合、長女や次女が家事をすることが親が一番喜ぶことでした。しかし、だんだん状況が逆転してきました。最近では、親の意識がすごく変わってきました。(今では、より多くの女の子が学校へ行くことができています。) 35、36年前からそういうところが変わったので、僕は嬉しいです。



ーコロナで、バングラデシュの子供たちにどんな影響がありましたか。


八司:まずは他の国と一緒で学校はストップになって。結局村の方では両親の収入がほとんどなくなった。学校にも行かせられなくて子供にご飯を食べさせられないということで社会問題になっています。



ーバングラデシュでは児童婚が社会問題になっていると聞きました。岩下さんたちには、実際にそういった問題を解決する方法がありますか。


八司: 去年の三月にバングラデシュに行ったときに、5人ぐらいの14、15歳の女の子が結婚させられたことを聞きました。一人の学生が僕の顔を見て泣き始め、私は結婚したくない、もっと勉強したいと言われた。僕は親と話したけど結婚は変わらなくて、児童婚の状況がなかなか解決できないと思いました。本当に心が痛くなりました。今度からは、女子学生だけの奨学金の制度を実施しようとしています。一人でも二人でも児童婚の学生を減らしたいです。



バングラデシュの学校の様子




NPO法人P.U.Sについて


ーどう地元の人に教育の大切さを伝えていますか?


啓子:私も学校へ一緒にいって、学校で子供たちが喜んでいる姿を村の人に見てもらいました。



ーP.U.Sの将来の目標は何ですか。


八司:まあ、こういう支援団体の人でもだんだん高齢化が進むと、やっぱり後継者が欲しいと思ってよく考えますね。自分だけやめて自己満足で長いことやっていても、子供はこれから成長し、活動は続けて行かなければならないからやっぱり後継者を育てなければなりません。コロナの流行で、短期的に活動資金の募集を考えるのは大変ですよね。あくまでもバングラの人の利益になる活動をしたいです。



ー教育里親制度はどう生まれたのですか。


八司:以前学校のオープニングセレモニーをする時に、どこの学校でも必ず学校の窓から羨ましそうに見ている子供が何人も居たのですよ。その子に聞いたのだけど、その子の家は貧乏でなかなか学校に行くお金がないから来ないし見ているんです。(学校で)ノートと鉛筆をプレゼントするけど、それを窓の向こうから羨ましそうに見ている子供を見ると、何とかしなければいけないということで。一つ学校ができたら4、5人にスカラシップをあげて、その子たちも学校へ行けるようになったことで、だんだん人数が増えてきた感じでね。


岩下八司さんと啓子さん




働き方について


ー岩下さんは、会社勤務もしていたと聞きました。会社勤務と、バングラデシュへの支援活動はどう両立されていたのですか。


八司:僕は、支援を始めたときはずっと会社勤めをしてたんですよ。ただバングラデシュでの支援を始めようと思った時から、年1回は1カ月くらいバングラデシュへ行くことがありました。日本だと有給を使うことがいいように思われないけど、僕は割り切って使ってました。会社の同僚や上司は、活動を理解してくれていたけど、会社から見たら評価は低かったですね。僕は最後までヒラ社員でもいいと、クビになったらそこまでだと思って働いてました。



ーバングラデシュへの思いが生活の中心にあったのですね。その後、どのタイミングで、会社を辞められたのですか。


八司:僕が57歳くらいのときに勤めていた部署が閉鎖するということで、それに乗って早期退職をしました。会社は大阪だったんだけど、生まれ故郷の丹波篠山に帰ることを決めて、ここで活動を続けています。ずっとやってるからボランティアの感覚もなくて、本当に生活の一部になりました。



ー岩下さんご夫婦は、兵庫県の丹波篠山で「だいじょうぶ屋」を経営されてますよね。このお店はバングラデシュとどのような関わりがあるのでしょうか。


八司:だいじょうぶ屋では、ネパールやバングラデシュの雑貨を売っています。現地の女性に頼んでつくってもらった製品もあります。職業訓練というほどでもないけど、ミシンをあげて、仕事する機会をつくったり。村の女性は、収入がないことも多いので。クオリティは高くないかもしれないけど、こうしたものを買うことで支援に繋がることを日本の人にも知ってほしいし、それで購入してくれる人もいます。



ー訪れるお客さんはバングラデシュに興味のある方が多いですか。


八司:色々な方が来てくれています。全然バングラデシュを知らない人でもたまたま遊びに来てお茶を飲みながら話をしていると、行ってみたいと言ってくれる方もいます。コロナの前は、毎年1月や2月に15人とか連れて、僕たちで案内する形でツアーをしてました。



ーだいじょうぶ屋をどのような場所にしたいと考えていますか。


八司:僕たちのいる丹波篠山は、人口が4万5千人くらいの山の中の町で、その中でも僕ら夫婦は変わってるなと言われますけど。雑貨やカレーで、バングラデシュの情報を発信させてもらってます。あと、僕のとこは、誰も苦しい部分は共有しない、サードプレイスみたいになってるといいなと思ってやらせてもらってます。



ー働く理由について、岩下さんの信念を教えていただけませんか。


八司:僕にとって、働いてお金を得ることがゴールではないんです。働いて貰ったお金で支援活動をすることがゴールになってます。だから、自分のゴールとは何かということを考えて社会で働くと、何かが違って見えてくると思います。



ー支援活動をする上で大切にしていることはありますか。


八司:特に支援活動をするためには、自分の心が幸せであること。口ではなんとでも言えるけど、人間の顔や目の表情って相手に伝わってしまうから。例えば、家で夫婦喧嘩をしていて、苛立った表情っていうのは、相手にちゃんと伝わるから。風邪と同じように、自分が幸せだったら、相手にも幸せはうつると思います。


啓子:マザーテレサのように大きいことは私たちにはできないと思ってます。それでも、ボランティアや活動の中で、大きな愛を持って接することが大事です。バングラデシュの国や村をちょっとでも幸せにしたり、そういう姿を見られる活動をさせてもらえるということは、私にとってもありがたいことです。



ー最後に、学生や読者の方へのメッセージなどはありますか。


八司:最後になるかもしれんけど、僕が一番生きていくときに心に思ってるのが「感即動」という言葉があるんです。感じたら即動く。僕は動いたばかりに失敗するときもあるけども、動く前にいろんな結果とかいろんなことを考えると動きが止まるんです。だからとにかく「感即動」で動くと、いろんなことが動いてきて、またいろんな人と出会ったりできます。だから、とにかく僕は、感じて動くことをしています。ぜひ「感即動」覚えてくださいね。


兵庫県丹波篠山市のだいじょうぶ屋の前で




 

筆者のプロフィール

イジー・リグダ



岩下さん達は、小さなことをすることの大切さを思い出させてくれました。それがいつか大きなことに繋がるかもしれません。例えば、九十人くらいの女性学生に対して、スカラシップをあげることは将来の世代に前向きな影響を与えます。より多くの女性が学校に行けるようにすることで、将来の世代がより高い給料を得ることができるようになってきます。岩下さん達の言葉を聞いて、私自身のコミュニティで、世界を良くするために、自分ができる小さなことを探したいと思うようになりました。貧困を解決するために、教育が何にも増して重要と知っていましたが、岩下さん達はインタビューでずっとそれを強調していました。私は特に将来、オーストラリアの先住民族の教育向上の支援に携わりたいと思っているので、インタビューを通して教育の大切さをより感じるようになりました。岩下さん達の寛大さは「自分が幸せになること」が人を幸せにするという意見からもわかります。将来、社会や人々のために働きたいと思っているので、これに私は共感します。

杉山穂乃佳 



今回インタビューを通して、自分の思いや自分のことを大切にすることを学びました。もちろん与えられた仕事を責任を持ってやり遂げることは必要ですが、自分の考えや目標を見失ってしまえば、意味がなくなってしまうと考えています。岩下さんは、働く上での目標を見つけると視点が変わるとお話ししていました。私にとっては、働いたその先というのはなかなか考えるのは難しいですが、働くということは生活のあくまでも一部であるということは意識しなければならないと感じました。自分を大切にするための働く環境を考え、探していきたいです。

李林熙(リンシー)





インタビューを通して、岩下さんから教育支援について具体的な情報をもらいました。岩下さんがおっしゃる通り、政治や社会を変えるという大きなことはできないため、できる範囲でやる、それがいつか大きなことに繋がるかもしれません。私も理想主義者です。先進国と発展途上国には不平等があります。工業化自体が全人類にとって屈辱的なことだと思います。こんな間違った社会の秩序を改めるために、人類運命共同体の完成のために、理想的な社会のためには、鋼のような人達が必要で、私はこの一員になりたいです。私は頑張って勉強していますが、決して自分のためだけではありません。これは理想主義の道だと思います。この道は険しい道かもしれないが、この道は決してデッドエンドではないということを固く信じています。この世界には利己主義があるだけではなく、理想主義の道もあると思います


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