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松岡叡美さん 株式会社せん

「人とのつながり」という財産。共に働く「家族」のような

仲間がくれる幸せ。


 

大学卒業後の将来を考える皆さんは、「社会人として働くこと」や「大学院に進むこと」など、様々な選択肢を思い浮かべるのではないだろうか。これらの選択肢から将来進む道を決める時、あなたは何を優先するだろうか? 2021年1月、「人とのつながり」を優先し、秋田の「株式会社せん」で働くことを決めた松岡叡美さんにインタビューを行った。


北秋田市阿仁出身の松岡さんは、大館鳳鳴高校卒業後、国際教養大学に進学。 大学時に東京にある大企業や秋田県庁などでインターンをする。現在は、インターン先の一つでもあった「株式会社せん」で働いている。「株式会社せん」は、「秋田美人」のルーツである伝統文化の川反芸者を「あきた舞妓」として復活させた会社である。会社が大好きだと笑顔で話す松岡さんのお話は、皆さんのこれからの選択をより良いものにしてくれるに違いない。


記事執筆者:嶋宮 里紗、ジョージア・コネチャド

インタビュー日:2021年1月


 

秋田で働く


―秋田で働くことにデメリットは感じませんでしたか?


デメリットはないです。社会人一年目ぐらいの時に、都会で働く友達のInstagramを見て、都会で遊んだりするのが羨ましいなって思うこともありましたが、今はそれをあまり求めていません。むしろ、秋田のゆったりした時間の流れに救われているかも。都会に出たみんなも仕事が忙しくなってきたり、コロナの影響もあって、「秋田に帰りたい」、「東京が苦しい」という投稿が目立つような感じがします。



―秋田で働くことのメリットは何ですか?


秋田自体が小さいこと。町のサイズがコンパクトなので、本当にいろんな人と仲良くなれて。その辺を歩いているだけでも、全く知らない人に「テレビで見たよ。」と声をかけていただいたり。初めて会う方ともすぐ仲良くなれたりして面白いなと思います。



―ずっと秋田で働きたいと思いますか?


できればずっと秋田にいたいです。やっぱり人が優しくてあったかいからですかね。それに尽きるかもしれません。




株式会社せん


―「せん」はどのような会社ですか?


全国的に有名だけど概念が抽象的な「秋田美人」というキーワードを、元々この言葉のルーツであった川反花柳界の復活という形で具現化し、あきた舞妓という特産品にして、県外や海外からの観光客の方にも「秋田美人」のおもてなしを体感していただけるようにと始まった事業なんです。



―あきた舞妓を復活させることは、なぜ重要だと思いますか?


まずは、秋田の伝統文化の継承という意味では社会的に大きな責任があると思いますね。踊りや唄なども、ここにしかないものがたくさんあります。この独特な華やかな空気みたいなものを本物のままで残し続けたいです。


また、「あきた舞妓・あきた芸者」というある種のブランドで、本当にわずかかもしれませんが、秋田の観光業界や、飲食業界、その他いろんな分野の経済をちょっぴり回すこともできているのかなとも思います。それも一つの役割であると思います。



―どのような人があきた舞妓になれますか?


募集要項としては、秋田出身・秋田在住または秋田に何かしらの縁がある方、もしくは秋田に縁が全くなくても秋田愛に満ち溢れる方で、健康で前向きな一八歳以上の女性です。



―雇用において、男性にはどのようにアプローチされていますか?


秋田の川反花柳界は、昔から舞妓や芸者というのは女性しかいない街だったんです。ジェンダーレスの今の時代に合っていないと分かってはいますが…。この昔ながらの感覚も、私は好きですけどね。



―伝統と進化の葛藤があるように感じますが・・・


そうですね。伝統を守るのって本当に難しくて。伝統を守る=ずっと同じことを繰り返し続ける、というイメージがあるかもしれません。でもそれだけでは、伝統は守れないんです。本当に葛藤がたくさんあるんですけど、時代に合わせて進化して変化していくのが伝統を守ることだと思います。それを一番大事にしています。


もしかすると、今は女性しか舞妓はできないですけど、この先、男女両方がやっているかもしれない。それも楽しみですよね。




「せん」での仕事


―「せん」で、松岡さんはどのようなお仕事をされていますか?


私は、舞妓でも芸者でもなく、営業活動やイベント、商品開発などの企画をメインで行っています。それ以外にも、劇場の受付や司会進行、舞妓の人数が足りない時にはピンチヒッターで三味線や唄を披露したりなど、基本的に何でもやっています。



―具体的にどのような営業やイベント企画をしていますか?


例えば、教育委員会に後援していただいて、小学生・中学生に向けてあきた舞妓の踊りを見せて、秋田で働くという選択肢についてお話しする企画を作りました。他にもいろんな面白い企画をしているんですよ。



―どのように営業先を決めたり、企画を作っていますか?

あきた舞妓たちとご飯を食べている時などの何気ない会話から生まれることが多いんですよ。こういうところにこういうサービスをしたら需要があるんじゃない?今日の新聞でこんなニュースがあって…みたいなところから出てきたアイディアをどうやったら実現できるのかを、またさらに深く会議して考えます。そしてみんなの人脈をフル活用して動いています。



―三味線や唄のお稽古もされているそうですが、(企画や営業の仕事で)忙しい中、どのように時間をつくっていますか?


週1回1時間、長唄の先生から直接教えてもらえるお稽古があるのですが、この1時間は勤務時間内になっています。


この会社では、みんながより幸せになれるようにと、様々なルールを自分たちで検討するんです。私は元々歌うことが好きで、三味線と唄のお稽古を就業時間内にやらせてもらうという私専用ルールを作ってもらったんです。




「家族」のような関係


―「せん」は、ほかのインターン先とどのように違いましたか?


そうですね。自由度が全然違うかもしれないですね。秋田県庁でインターンしたんですが、たくさんのレールの様なものがある気がしました。県民のためにミスの許されない重要なお仕事なので、当然だと思います。それがクリエイティビティ炸裂型の私には向いていなかったかな。

今の「せん」は、上司部下というよりは家族に近い人間関係なので、妹たちが「こういうことしてみたい!」って言ったら本当に商品化したり、イベントが動き出したり、そういう気軽な自由さがいいなと思います。



―自由度の差以外に他のインターン先と違う点はありましたか?


規模が違いますね。前にインターンした二社では、何百人も何千人も働いていたんですが、「せん」はとても小さい会社で、毎日いるのは五人です。それぞれの顔と名前はもちろん、好きなものや誕生日も何でも分かる。こういう関係性だとアイディアも生まれやすいと思います。



―なぜ「せん」で働きたいと思いましたか?


多分、人とのつながりが一番大きい理由ですね。インターンもしていたので、全然知らない会社でもなかったし、もちろん会社自体も働くメンバーも、この会社を応援してるサポーターの会社の人たちも知っていました。いろんな人とのつながりがもうできていたので、私にとってそれが財産のように感じていたんです。それを手放すのがもったいないと感じたのを覚えています。



―「せん」では女性が働きやすい環境づくりを目指すためにどんなことをしていますか?


弊社では、あきた舞妓の事業の他に、松下という観光施設の中のカフェ等もやっているんです。舞妓以外にも働いてくれている女性たちもいます。中には子供をもっているママさんたちも。


例えば、子供がどうしても学校に行きたがらない日があったら、ママと一緒に松下に来て、ママの業務時間が終わるまで、事務所で遊んで待っていてもいいことになっています。舞妓たちも含めてみんなで面倒をみます。


嬉しいことに、前に不登校の子がいたんですが、事務所のみんなにいっぱい話しかけられる中で、コミュニケーションがうまくなり、学校に行けるようになったケースもあったんですよ。



―「せん」は、チームワークがすごくいいんですね。


チームワーク、すごくいいと思います。昔は、舞妓さんや芸者さんは(置屋という)一つの同じ家に住んでいたんです。私たちは、今、会社組織で運営しているので、住む家は別々ですが、会社が大好きで、休みの日も来ることがあるくらい。本当に家のような感覚なのです。家族みたいな感じだから、チームワークもいいのかなと思います。




コロナ禍とこれから


―新型コロナウイルスの影響はどうですか?


コロナウイルスの影響はすごく大きくて、これまでの仕事は、ほとんどゼロになってしまった月もありました。観光客がほとんど来なくなってしまったので松下劇場でお出迎えするという仕事が少なくなりました。


あとは、夜の料亭さんのお座敷の仕事ですが、財界の皆さんも会食の機会が減り、料亭やホテルの宴会に呼ばれる回数がぐっと減ってしまいました。正直かなり悲しかったですね。



―新型コロナウイルスの影響に対し、どのように対処していますか?


最初にやったのがクラウドファンディング。休校になり、学校に行けない子供たちや面会や外出が禁止された介護施設内のお年寄りが、すごくストレスを感じているというニュースを見て。


ビデオ通話で学童施設の子供や介護施設のお年寄りに踊りを見せたり、踊りを覚えてもらったりするサービスをクラウドファンディングで支援していただきました。



―ほかに、どんなことをされていますか?


職業訓練をしました。これは、日本の制度ですが、これを利用して、舞妓たちと一緒にコーヒーやラテアートの勉強をしました。


あとは、認知症サポーターというレッスンを受けました。それから、秋田についてのマニアックな試験「秋田ふるさと検定」の試験勉強をして、見事に全員トップで合格しました。


新しいことを勉強することで、これからの仕事上での会話やサービスの幅が広がったり、ご高齢の方とどのようにお話すべきかなどの知識を付けたりすることができました。



―認知症サポーターの勉強は、どのように生かされていますか?


舞妓たちは、コロナ以前から、時々介護施設に入所されている人に踊りを見せたり、お話をしたり、写真を撮ったりするサービスを行っていました。


認知症の方たちにどう話しかけたら気持ちよく会話ができるのか、逆にどういうことをされたら嫌なのかも勉強したので、かなり勉強になり、現場に活きていますね。


例えば舞妓が踊りをしていると、すごくびっくりして反応する方などいろんな人がいたんですが、勉強したおかげで、こちらも心の準備ができているので、戸惑わずにできるようになったと思います。



―コロナが落ち着いた後も、今の対策を続けようと思いますか?


オンラインにはオンラインの良さがあったので続けるべきだと思います。海外にいる人や日本だけど遠いところに住んでいる人に、オンラインのサービスはすごく好評です。



―今後、行いたい取り組みや将来の目標は何ですか?


一緒に働く仲間を増やすことが第一の目標です。


今の大学生とか短大生とか高校生、中学生、小学生とか、これから大人になる、社会に出ていく人たちに、こういう秋田で働く選択肢もあるんだよっていうことにまずは気付いてもらいたいです。


一人でも多くの人があきた舞妓になってみたいと憧れを描けるような存在であり続けなきゃいけないなと思います。



―将来について考える学生に向けて、メッセージはありますか?


秋田には、面白い学生が本当にいっぱいいるなあって、それでいてみんな優秀だなと。そういう人たちの選択の一つとして、東京の大企業とかに行くだけじゃなくて、秋田で楽しく生きるという選択をする人が一人でも増えたらいいなと思いますね。周りに流されず、本当に自分のやりたい事、好きな事、得意な事を突き詰めて考えて職種や職場を選ぶことをお勧めします!


繰り返しになりますが、花柳界の伝統文化を守るため、時代に合わせて進化したいと思っています。それこそ現役大学生のうちに舞妓になるとか、すごく面白いと思います。大学生が舞妓になっちゃいけないなんてそんなルールはないので。その人その人に合わせてキャリアプランを組み立てていけると思うんですよね。


だから、やりたいことは、やりたいと思った時がやりどきです。


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