清水正弘さん トラベルセラピスト
Updated: Mar 9, 2022
ー好きなことで、生きていくー
「好き」を仕事にすることは、現代の理想の働き方のひとつなのではないだろうか。でも、どうすれば「好き」を仕事にできるのか?「好き」とは好奇心のその先にある感情である。「働くこととは好奇心を広げていってその中で自分が何に納得しているのかを探す行為だ」と清水さんは語る。
清水さんは、1960年に兵庫県に生まれ、学生時代より国内外の秘境・辺境を訪れる。大学卒業後は、旅行会社に勤務。35歳で同会社を退職し、フリーランスのトラベルセラピストとして働き始める。その後、38歳の時に鍼灸師、そして42歳の時に山岳ガイドの資格を取得。その他にも紀行作家や広島修道大学の非常勤講師などの顔も持つ。常に新しいことに挑戦し、納得のいくものを探し続けている清水さんの働き方、そして、彼の人生という旅を紐解いていきたいと思う。
記事執筆者:へディ・ワン、辺見彩佳、ななり
インタビュー日:2022年1月
清水さんのお仕事
ー現在、清水さんの職業はなんですか。
私は職業という形でこれだっていう風なことを固めたくないなっていうような想いがずっと前からあって、色んなことをやっています。中でも今は何をやってるかというと、トラベルセラピーっていうことをやっています。それから山歩きなんかの自然ガイドみたいなものをやったり、鍼灸師をやったり、多様なことをやりながら生活をしているっていう感じなんです。
“ひとつの職業にこだわりたくはないんですね——”
トラベルセラピストとは?
——トラベルセラピーとは、何ですか。
最近は、国内外問わず、メンタル面で様々な問題を抱えている人がたくさんいらっしゃいます。その人々を国内外のいろいろな場所にお連れして、そこに滞在していただく。要は、人間の人智を超える大自然や聖地のようなところですね。そこを旅することで心を癒す。それがトラベルセラピーです。そして、そのお手伝いをするのがトラベルセラピストという職業です。
——トラベルセラピストになられたきっかけは何ですか。
大学生の頃、外国に行きたいという思いがあって、1年間休学し、一人で外国を旅行して、色々な人と出会ったんですね。そこで、日本とは異なる文化に触れ、カルチャーショックを受けたんですね。それがきっかけで、私達が住んでいる地球に存在する、多種多様な価値観に関心を持つようになったんですよ。そうして、もっとこの世界を見るために、様々な国に行ってみたいと思うようになりました。その後、専門性を高めるために旅行会社で12年間働いた後、フリーランスになったんですね。
清水さんのトラベルセラピーに関する著書
大学時代
大学生の頃・北アルプスにて
——大学生の頃から、たくさん海外に行かれていたそうですが、海外に行ってみたいと思われたきっかけは何ですか。
当時、考古学を専門にしてた兄の韓国でのフィールド調査の話を聞いたりしてたんですよ。その話を聞きながら、(私は)現在において人類は価値観や言語や宗教とかが違ってはいるけれど、(この地球の人類のおおもとのルーツは一緒なのだから)共通する部分はどこかにあるだろうということを思ったわけです。そしたら、やっぱり若いうちから海外を見てみたいって思ったんですね。
ダライ・ラマとの出会い
——プロフィールに20歳のときダライ・ラマ14世に個人的に出会ったことが人生の転換点となると書かれていたのですが、どのような変化があったのですか。
1980年にダライ・ラマさんが訪日された際、私は彼の講演に参加したんですが、人が多くて後ろのほうからでは全然見えなかったんですよ。なので、彼に何とか会えないかと交渉をして、1時間半ほどお話したんです。その時の彼のオーラみたいなものに非常に衝撃を受けたというか(笑)。どういう衝撃かというと、彼の故郷が他国の勢力から弾圧されていて、いつ帰れるのかわからない状況にあるにもかかわらず、なぜこんなに穏やかな雰囲気を持たれているのかなっていう。その背景には、おそらくチベット仏教というのがあるんだろうということに自分の関心が向いていく、そういう意味合いでの転換点だったんです。
山岳ガイド
——今度は山岳ガイドのお仕事についてお聞きします。清水さんがお持ちのガイドの資格というのは具体的にどのようなものですか。
これは、国の環境省の認定団体である日本山岳ガイド協会が認定する資格で、「登山ガイド」と言うんですね。私が持っているのは「登山ガイドステージ2」という資格です。今から20年前に取りました。
——そうなんですね。その資格を取られたきっかけは何だったのですか。
私は高校時代から山歩きが好きで、高校でワンダーフォーゲル部、そして、大学では山岳部に所属していて、日本国内の色々なアルプスを歩いたりしていたわけなんですね。また、私が働いていた旅行会社は、世界の秘境とか辺境ばかりではなく、山岳辺境地帯というのも(旅行先に)入ってたんです。やっぱり、登山とかトレッキングにはずっと関係していたんですね。
紀行作家としての顔
——紀行作家としての顔もお持ちだそうですね。ご自身で作家になろうと思われたのですか。
元々、大学時代は文学部新聞学専攻で、その頃になりたかったのは新聞記者だったんです。ですから、文章を書くということに少し憧れがあったんですね。それで大学時代から旅行会社に勤めていた頃にかけて、外国に行った際に色々な自分の想いみたいなものを記録をしたり。また、フリーランスになってからは地元の新聞社に頼まれて、紀行エッセイを新聞に書いていたりとかしていました。
地元新聞社連載エッセイを一冊の本にしたもの
鍼灸師の資格
——鍼灸師の資格をお持ちだそうですが、なぜ取ろうと思われたのですか。
世界の秘境・辺境に行くと、いわゆる現代医療みたいなものは、ほとんどないわけなんですよね。すると、現地の伝来の医学が未だに残ってるわけですね。私自身がそういうものに触れていく中で、伝統医療みたいなものに非常に関心が湧いてきたんですよ。それで、(知識として)知ってるのだけではなく、やっぱり実際に自分で資格を取って、ひとつの技として身につけたいなって——「針灸」というのは考え方の基底に東洋思想があり、宇宙観みたいなものが非常に奥が深いので、それに惹きつけられて資格を取ったわけです。
鍼灸師として、ネパールでの医療ボランティア活動
——鍼灸師の資格を取って得た知識は、清水さんのその他の仕事に役立っていますか。
そうですね。針灸なんかの東洋医学っていうのは、自分の身体が小宇宙で、そのどこかを循環するものが崩れたりとかしたら病気になるんだという考え方なわけですね。トラベルセラピーの話に戻りますが、人は昔から聖地という所によく行って、日常生活の中での色々な悩みとかを浄化してまた日常に帰ってくる——要するに、トラベルセラピーは自分で針を持って(鍼灸の治療をするように)その聖地に入っているようなものなんですよね。ですから、「人を治療する針灸で人体の宇宙のゆがみを治していくという行為」と「人を聖地やヒマラヤのような自然に連れていって日頃のメンタルの悩みとかを治していく(行為)」は同じような気がしてならないんですね。
フリーランスの仕事をするということ
——フリーランスというのは今でこそポピュラーな働き方になってますが、清水さんがフリーになられた当時はあまり一般的ではなかったと思います。フリーランスに対して不安な気持ちはありませんでしたか。
時代的に私が組織人を辞めたあたりは、フリーランスに対して肯定的ではなくて否定的に取られたりしていました。そういう意味では、不安になろうと思えばいくらでもなれる。でも、その考え方は自分の考え一つでいかようにも変わるわけですよね——安定した収入がないというところに注目してしまえば不安ばっかりです。逆に、自分の関心のあるようなことがあったらずっとその仕事をしてもいいわけですよね。
仕事をする上でのやりがい
——お仕事をしていて「やりがい」を感じるときはどんなときですか。
ヒマラヤに日本から人をトラベルセラピーのような形でお連れする時に、朝、その方々と一緒に山の中のロッジの屋上に上がって、太陽に赤く染められたようなヒマラヤ山脈を無言で観るんですよ。大自然の一期一会のドラマですから。中には涙を流している方もいらした。後にお連れした方々が私の方を振り返ってきて「よかった。」と一言おっしゃいますし、「人生観が変わった」とおっしゃる方も。その言葉が発せられた瞬間に、非常にやりがいを感じますね(笑)。
パズルの話
(人生は)パズルのピースを1枚ずつ積み上げていってるような感じだと思うんですよね。でも、そのパズルを積み上げていった先にはどういう風な模様があるのかは、最初わからないわけですね。これは人生ですから、そのパズルのひとつひとつのパーツ—色々な価値観みたいなもの—が、人生の経験を踏む上で積み上がってくると思うんですよ。すると、だいたい40歳とか50歳ぐらいには、何となく模様みたいなものが見えてくるような感じがしてしまうんだと思うんですよ。それがその人の持っている人生観じゃないのかなと思うんですね。そういう積み上げてきたようなパズルが、ヒマラヤの朝日の一回こっきりのドラマを見たら、パラパラと崩れ去るみたいな(笑)。(積み上げてきたパズルを)いっぺん、スクラップするっていうことがこのトラベルセラピーの僕の目的ではあるんですね。
仕事をする上で一番大切なこと
——お仕事をする上で一番大切にされていることはなんですか。
やっぱりスクラップアンドビルドじゃないですかね。(仕事を)やっていく中で、色々な考え方みたいなものがどこかで凝り固まらないかっていう心配があるわけですね。——それこそパズルの話をしましたけども、そのパズルの一番最後のワンピースを絶対にはめたくないっていう思いがあるわけですよね(笑)。自分の死後の世界もどこかで空白のピースがあるってことは、そこの最後のワンピースをどこかに求めようとするわけですよね。
“最後のワンピースの部分はいくつになっても 探し求めたい—”
——探究心というか、好奇心というか、常に求める姿勢がとても格好いいですね。
(常に求める姿勢は)まさに、好奇心だと思うんですよ。青春時代なんて言葉がありますけど、好奇心を維持できている間は青春時代じゃないのかなと思ったりもします。いくら16歳であろうが好奇心がない16歳は青春してないという風に思ったりもするくらいです。
——清水さんは今も青春時代ですか。
はい、青い春を送っています(笑)。
清水さんにとって、「働く」とは何か——
——清水さんにとって、「働く」とはどんなことですか。
自分を納得させていくことじゃないのかなと思うのです。働くってことは「金銭を得る」ということよりかは「自分とは何なのか」みたいな。先ほどパズルの話をしましたが、パズルを組み上げていく行為っていうのは自分が納得できるような組み方を探していることだと思うんですよ。ですから、パズルを組んでいて、これは違うんじゃないかと思ったらスクラップ・アンド・ビルドですね(笑)。新しいことに挑戦してみるとか、新しい働き方に挑戦してみるとか。そのパズル自体を組み立てていくという行為が、要は自分がどういう風に自分の人生に納得できるかという作業そのものが「働く」ってことじゃないのかなと思います。
筆者のプロフィール
ヘディ・ワン | インタビューを通して、清水さんの様々な経験を聞いて、たくさんのことが勉強になり、どうしてこの方が一つの仕事に縛られず、自分が好きなことを生かした仕事に就けられるのか分かりました。なぜかというと、清水さんはいつも好奇心を持ち、色々なことに挑戦する方なので、人生に納得できます。清水さんから教えていただいた話の中で、最も心に残っているのは、自分の考え方や価値観が人生を変えられることです。それは、年齢にもかかわらず、いつでも新しいことに挑戦したら、納得のいく生き方を見つけられる。そのため、これから、私も、清水さんがフリーランスで働き始めたように、社会の常識に自分をあてはめていけず、自分で自分自身の人生を探していきたいと思います。 |
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辺見彩佳 | 「働く」とはどういうことか。清水さんは、「それは、自分がどういう風に自分の人生に納得できるのかを探す作業だ」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。最近、YouTubeで「好きなことで生きていく」という広告をよく見ますが、そんな風に「好きなこと」を仕事にできる人は、ほんの一握りなのだろうなとインタビュー前は考えていました。しかし、清水さんにおはなしを伺っていくなかで、好奇心を持ち、常に自分が納得いくものを探す作業を諦めなければ、誰だって自分の好きなことで生きていけるのではないのかと気づくことができました。自分の納得できる人生を送るため、好きなことで生きていくため、好奇心を持ち続け、失敗を恐れずに挑戦し続けたいと思います。 |
ななり | 今回お話を伺った清水さんの「働き方」は、まさに私が理想とする「型にはまらず、自分の好きなことを生かして働く」というものでした。2時間にも及ぶインタビューの中で清水さんはたくさんのことをお話し下さいましたが、その中でも自分の人生観をパズルに例えたお話は特に印象に残っています。『最後のワンピースの部分はいくつになっても探し求めたい』とおっしゃっていたように、清水さんの好奇心を忘れずに常に何かを求め続ける姿勢は、これから社会に出ていく私たちが見習うべき姿だと思いました。私も清水さんの様に幾つになっても人生の青い春を過ごせるように、常に様々なことに興味を持ち続け、自分で納得のいくまでパズルをスクラップ&ビルドしていきたいと思います。 |
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