織山英行さん 森吉山麓ゲストハウスORIYAMAKE
マタギの日常生活
多くの若者にとって地方から都会に引っ越すのはまるで夢のようだ。豊富な仕事の機会と興奮いっぱいのメトロポリス。そんな都会での生活を離れ、地方に戻りたい人はいるのか?織山さんはその中の一人だ。8年間東京で働いて東京でのライフスタイルを経験した後、東日本大震災をきっかけに仕事を辞めて地元秋田にある空き家となった祖父母の家をゲストハウスとして開くために引っ越し、マタギにもなった。都会でのライフスタイルも楽しんだが、秋田で持続的な生活と幸せを見つけた。
記事執筆者:黒沢樹里、李エゼキエル、ダストール・タスケル
インタビュー日:2021年1月
織山さん自身について
―ご出身は秋田ですか。
はい、子供の頃は秋田市に住んでいました。その後大学と最初の映像編集の会社で8年間東京にいたんです。
―東京ではどのような働き方をしていたのですか。
人生で一番楽しかったなって思う時の働き方なんです。会社が24時間の会社でアルバイトの方は12時間交代で。最初私はバイトだったので夜10時から朝10時まで、仕事休憩は夜中の3時から4時の1時間というようなすごく忙しい仕事でした。給料は今の倍以上くらいもらえるような仕事でやりがいはあったんですけど精神的なダメージを受けてしまって辞めていく人もすごく多くて。気を張っていてピリピリしてる感じで、そういう忙しい楽しさも若いうちはいいかなと。でもこれはずっと続けられないとは思っていました。
―どうして秋田に戻られたのですか。
2011年の3月に東日本大震災で大きい地震が起こりまして、 東京でも震度4という大きな地震でした。電車も全部止まってしまって、それで家に帰るのも歩いて帰らなきゃいけないような形でした。
あと、私の子供が生まれてまだ3カ月で赤ちゃんだったのですが、スーパーにおむつとか買いに行っても全部買い占められて、ないんですね。東京は何もないところだなとわかったんです。東京はスーパーも電力もそうですけども食べ物も何もかも全部周りから持ってきてるわけで。東京では何も生産してなくて何もないところで。
それで、そのとき私の秋田の両親とうちの奥さんの出身の和歌山県で地震の被害が少なかったので、和歌山の方から食べ物やおむつ、水などを送ってもらって1カ月ぐらい生活をしていたんです。実はゲストハウスを始めたいという思いもあったので、その映像編集の会社はその年に辞める予定だったんです。
最初は観光地でホスピタリティ業界の勉強をしようと思っていたんですけど、私が借りようと思っていた家を他の人に買われてしまって、それで計画がダメになったんです。それからうちの奥さんと相談をして、どうせ将来秋田に帰るつもりだったら、このタイミングで秋田のほうに戻ろうかとなったのです。
森吉山麓ゲストハウスORIYAMAKEについて
―どうしてゲストハウスを開きたいと思ったのですか。
ここは父親の実家で、土日に遊びに来るような所だったんです。森吉山という山の周りにいろんな自然があって、食べ物もおいしくて、すごくいい所だったんですけども、観光客が少ない所だったんです。
それで、将来、自分が大人になってもう少しお金をためたら、こういう所で民宿をやりたいなという思いがずっとあったんです。
マタギについて
―織山様がマタギを目指したきっかけは何ですか。
東京の時の友達が遊びに来たんです。その友達がすごく本を読むのが好きな友達で特に『邂逅の森』というマタギをテーマにした小説が好きでした。直木賞を取った本で、私も読んだんですが、聖地巡礼みたいな感じで、マタギに会いたいと思いました。その友人と一緒に、マタギの人に山を案内してもらったところ、すごい山の知識があって一緒に山を歩いていて楽しかったんです。こういうマタギの見方で、山を歩いたことがなかったんです。
―最初にマタギについてびっくりしたところは何ですか。
山に行った時、道具をほとんど持っていなかったところです。ナガサっていうナイフ一つだけでした。普通、水とか持っていきますよね?山登りに飲み物は必要ですけども、それを持っていかない。みんなの湧き水が出てくる場所を知っているので、別に水を持っていく必要がないんです。あと、湧き水にしてもコップが必要じゃないですか。でもコップも持っていかずに、木の葉っぱを丸めてコップみたいにして、それをコップがわりにして飲んでいました。
―マタギになる前はマタギに対してどんなイメージを持っていましたか。
山大好きおじいちゃんみたいなイメージ。狩人っていうかすごく怖い人。クマを殺すみたいで、なんかそういう怖いイメージでした。そういうイメージがあったんですけども、本当はマタギっていうのは春は山菜採りをするし、夏は釣りをしますし、秋はキノコを取ります。
―いつマタギは狩りを始められますか。
グループ猟の時には期間がすごい決められていまして、春の4月から5月の上旬なんです。その時期じゃないと、クマが見つけられないからなんです。春の山では、木に葉っぱが出ていない。そして、まだ残雪という雪が残っているので、真っ黒いクマが白い雪の上を歩いているのがすぐ見つけられます。葉っぱが出てくると、クマを見つけられなくなるので、狩猟が終わると言うことになります。
―どれくらいの時間を山で過ごしますか。
一番長い時は、春の4月から5月は狩猟に行って、朝7時から、夕方の4時までずっと山にいます。昔のマタギは山に泊まったりもしてですね。クマを見つけてちゃんと撃って仕留めるまでずっと山にいたので2、3日山に入ったそうなんです。今、車で行くことができるので、山に泊まらないで1回帰って、また次の日に行くことができる。
―マタギとハンターはどう違いますか。
マタギっていうのは、山の神様を信じていますので、獲物を自分の力で捕ったと思わないんですね。山の神様に授けてもらった贈り物で、山の神様からのギフトだということです。海外でトロフィーハンティングとか、獲った動物と一緒にピースとかして写真を撮ったりする人もいると思うんですけれども、それはマタギはやってはいけないことですね。クマを授かった時、肉と皮はいただきますけれども熊の魂は山に返しますよという儀式を行います。そうすることでまた自分たちに肉とか皮を授けてくださいねというそういう祈りをやるんですけどもそれはたぶんハンターはやらないと思います。
―若者はマタギ文化について興味がありますか。
マタギになりたいと言って移住してくる人もすごい増えています。年に一人か二人は必ずいるような状態です。今、こういう自給自足をしたいという若者が増えています。あと人間があまり好きではないという若者とか、山で一人で暮らしたいとか、そういう若者がいます。でも、そういう人でも、こういう田舎に来ると、絶対にコミュニケーションをしないと生きていけないので、だんだん変わってくるんです。
―マタギになりたい人は、どうすればいいと思いますか。
そうですね。マタギになりたいっていう人は北秋田市だと、地域おこし協力隊というのもあります。でも、実際には、おじいちゃんとか昔から山に入っていろんなことをやってる人に、お願いしますって言って、一緒に山に歩くっていうのが、一番いいと思います。少しでも一緒に山に入って、勉強するのがいいのかな。それに補助金がいっぱい出るので、銃の免許を取りたいですよっていう人には補助のお金が出ますので取りやすくもなっている。とりあえずこっちに来たら、市役所でも相談に乗ってくれる。
―マタギはライフスタイルですか、それとも職業ですか?
マタギっていうのは、もう職業として捉えてしまうと誤解される部分も多くなるので、いわゆる生活様式の一つ、ライフスタイル。マタギというのは職業ではなくてライフスタイルだというふうに考えてもらえるとわかりやすいと思います。
これからについて
―子供にゲストハウスを受け継ぎたいですか。
今半分半分の感じを持ってます。今、私がマタギに興味を持っているのでマタギ体験やマタギの文化を一緒に体験してもらいながら宿に泊まるというのをやっていますけど、娘にはマタギにこだわらずに娘の個性や興味があることをして欲しいです。娘がお客さんと接するのを続けたいということであれば、やってもらえばいいと思うんだけど、無理に続けなくてもいいと思います。
―昨年から観光業界はコロナによって大きな打撃を受けていますが、織山様のゲストハウスにはどのような影響がありましたか。
今コロナの真っ最中だけど去年の2月から全部(予約が)キャンセルになってしまった。タイと台湾の予約は2月と3月が多かったんですけど、政府が渡航自粛要請を出して、2月下旬から5月のゴールデンウィークまでの予約がゼロになってしまった。
すごい大変な状況だったんですけど宿自体は政府からの給付金などを頂いていましたし、お客さんが来ない時は料理などにお金を使わないので大丈夫な状況ではあります。あと、自分の国に帰れない外国人、在日の外国人で北海道や東北を回っている人、そして夏場に関西からのお客さんも多くなって、11月ぐらいまではちょこちょこ増えてきていました。また1月に緊急事態宣言が出ると、全部キャンセルになって予約がゼロになってしまった。もうこれはしょうがないですね。
―ORIYAMAKEゲストハウスには、どんな特徴がありますか。
特徴はそのままを見せるというところですね。お客さんにご不便をおかけしているところもあると思う。例えば、和式トイレしかなかったりすごく冬が寒かったり、夏が暑かったり虫がいっぱい入ってきたりする。そういう不便なところも含めて、全部この地域の生活というのを見せるようにしている。それで逆に本物だということで受け入れられる所だと思います。私も夏に蚊にさされたり冬はもう耳が冷たくて目が覚めるぐらい寒かったりもするんですけど、それもいい体験ですね。うちの奥さんは語学留学をして英語が話せるんだけど私が英語が話せない。けれども外国人には英語を話さない方がいいと思う。せっかく海外に来て山奥のローカルの所に来てるのに英語を話されたらちょっと興ざめしてしまう。
お客さんに、「君たちもハワイに行って日本語通じたらなんか海外来た感じがしないだろう」と言われて確かにそうだなと。伝わらない感じも体験するのも楽しみの一つです。東京や観光地へ行けば皆英語をペラペラに話せるから、ここでなかなか伝わらない感じを持つのもいいと思います。お金とか肝心なことは奥さんに通訳してもらったりグーグル翻訳を使ったりするけども、こういう身振り手振りでこっちの言葉と向こうの言葉をまぜこぜにしながら会話をしていくというのが楽しんでもらえてるのだろうね。お客さんを受け入れるために用意しすぎてしまうところがあるので、お客さんにあまり合わせないでそのままを見せるのが一番ポイントかなと考えています。
―今後ORIYAMAKEをどのように発展させていきたいですか。
宿単体としては食肉処理場の許可を取って熊のお肉とかを流通に出していきたいです。その他に、村一つを全部ホテルみたいな形にする考え方があります。ご飯は個々の宿で食べて、お風呂はこっちで入って、寝るのはここみたいな感じで、自由に行き来できるような関係性を作れていければ一番いいなというふうに考えています。
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